つくることと、こわすことは相反しているようで同じエッセンスがあるとおもいます。
そもそも、相反とかんがえる二極的な思考自体が、物事を批判、批評することにつながってるかな。
てばなしたいよー。てばなそう。
いろんな言葉のもつ本来の姿、というのはどんな景色なのだろうとおもいます。
先日、久しぶりにフリージャズ(私はあまりこころえてるといえないのですが)という形で先輩がたとセッションさせていただきました。
楽しかった。
ありがとうございます!
(そして出張へいったためお休みした水曜カンカン、ごめんなさい。みなさま、ありがとうございます!)
腸管がねじれたような音も、空間をつきぬけるような衝動も、あふれる感情も。
すこしまえまでは、こわいものとしかとらえられませんでしたが、
すごく純粋なことをしてる。ピュアな印象をえられたとき、驚きました。
と、ともに、だいぶ前にかんじたこと、話にきいたことが腑に落ちたりして、面白いです。
たくさんつめこむのもいいけど、ときにはだまってみる。
のも、大事なんだなー。
こうありたい、と願うことで、
こうならねばならない、と条件反射のように考えて、
もごもごつめこむことで、流れを滞らせてたなあと
純粋に願うことは、すでにあるのかもしれませんなあ。
なんだかくもって、明確でないことをもごもご願っているのかもしれません。
うほほほ
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