つと、John updikeという名前を、本棚に見かけた一瞬、そういえばファンダイクという画家がいたかな、と連想しました。
人は一日に100000回、思考するときいたことがあるけど、その思考ははたして、それぞれ、連鎖しているものなのでしょうか。(回数の信憑性はおいておいて)
連鎖しない。なんだか不可知論にさえ、なりそうな命題な気がいたします。
ウィトゲンシュタイン先生、いかがでしょう。
そういえば、‘&%大学に合格した方のノート’を紹介する本に、まさに連鎖式でかいた、家系図が紙いっぱいにひろがったようなものがありました。
連鎖、なにかと関連づけることのできないことが、目の前にあらわれた瞬間、ゲームなんかだったら、とてつもない敵だったりして、目の前がまっくらになったり、お墓にお金をはらって、息をふきかえしたり、するだろうけれど現実ではどうだろう。
たとえば、チラリズム、というと、真っ先に女子高校生のスカートを連想してしまいます。
(ごめんなさい)
みえるか、みえないか、そのせめぎあいのそういうあれこれに、というものだろうけれど、そもそもこれはどこの国の言葉がゆらいなのかとしらべてみると、日本!
なるほど、想像がよい線にいくわけだ。
源氏物語の垣間見るシーンにも、なんだか共通の精神がありそうな気がします。
たとえが、あれでしたけれど、連想するものが、すっとこどっこいな場合は、何かの土壌にないってことになるのかな。
そもそも土壌にないって、なんて考え始めたら、ただでさえ低スペックな思考回路がショートしそうなので、棚に一度あげます。
作曲家は、ものかきだからか、思考回路が連鎖しているのでしょうか。
文章も達観しているイメージがあります。
日本では、武満徹さんや、吉松隆さん、菊池成好さんを読んでみていますが、おすすめがありましたら、ぜひ教えてほしいどす。
Pierre Boulezさんという、作曲家さんもおおくの本をかいていて、先日『クレーの絵と音楽』(ポール・テヴナン編/笠羽映子訳/筑摩書房/1994年)をよみました。
それをきっかけに、パウルクレーに関する本を読み漁っていて、母校の先生でもあった、野田由美意さんが『パウル クレーの文字絵 ― アジア オリエントと音楽へのまなざし ― 』(2009年、アルテスパブリッシング)をかいてたなあ、と思いだし、久しぶりに大学にいってみると。
興味のある本が、映像が、音楽がやまほどあるのです。
もう、ここしばらく閉鎖していた、調べ学習したい病がむくむくと発症して、花粉症もわすれるいきおいです。(しだいに文章は原文で読みたい気持ちになりますね。学芸員の資格の授業の際に、きいていたアドバイスがいまさら身に沁みます。/かのカフカが文章を書くことを、“ひっかく”と表記していたことなんか、ぐっときました。)
学生の頃、彼女の授業を、受けてはいたのだけど、当時はサックス練習するか、してないときは睡眠とりたい病が悪化していたためか、こんこんと寝てしまったのです。
“Einst dem Grau der nacht”/
http://matome.naver.jp/odai/2136101773650668601/2136102729953310703
なんて、とてもすきで、デザインのアイデアにかりてくるくらいだったのに。
しかし、絵はすきだけど、かかれている文字についてしらべたことがなかったので、この詩を読んだときは、まるで久しぶりの友人と会えたときのような
何ともいえない邂逅をかんじました。
Einst dem Grau der Nacht
entraucht
Dann schwer und teuer
Und stark vom Feuer
Abends voll von Gourt und
gebeugt
Nun atherlings von Blau
umschauert,
Entschwebt uber Firnen,zu
klugen Gestirnen.
かつて夜の灰色から浮かび上がった
そして重要で価値高く
火の強さで
夕暮れに神に満たされて身を屈め
いまやエーテルに青色に振りこめられて
万年雪の頂を越えて、叡智の星々へと昇り行く
訳:野田由美意
彼が文字絵・sahriftbildを描いているのは、1916~1921年の間とされていますが、その前後に読んでいる文献や、関心のあること、出かけていた土地、関わっていた人々などを、しらべてみると、すこしづつ、すこしづつ紐がとけていくようなここちがしました。
多くの風刺画をかいていること、踊りに関するスケッチを山のようにかいていること、言語に興味があり、各国の歴史や詩を読んでいたこと、バウハウス時代に授業を休講にして各地に取材にいっていたこと。
言葉をつくって、かいた詩をモチーフにした作品もあって、ちょうど松岡正剛さんとタモリさんのインタビュー集?のようなもので、『愛の傾向と対策』
(ハナモゲラ語の発想やそういうお話/
ひとつおどろいたのは、ルコルビジェとほぼ同時代に似たような経歴をたどっていたことでした。
建築家のなかでは、かなりすきな方なので、ああ連鎖するのかなあと、思わずにはいられません。
そうかなとおもっていたけど、確信したのは、彼が生涯バッハや、モーツァルトを好きだったこと。
観念がぽろりと、抜け落ちていたのは、彼だって駆け出しの時代があって試行錯誤していたこともあった、ひとりの人間だということ。
あまりにも、尊敬していると、おなじ人間でもあることを、ともすると忘れがちですし、生身で会える方だと、聞きたくないし、ものすごく聞きたくなります。
ぽうぽう。
印象にのこっている文章を備忘録にいくつか
“クレーは、有機的な展開を創り出し、そしてまた彼にのみぞくしている自然を再創造するという偉大な能力が認められる”
“分割可能な構造と個性的な構造の原理的な運動の例”
“合理的なものと非合理的なものとの間の、有機化されたものと瞬間それ自体の属性であるものとの間の対象を探究していく”
“視線の力によって絵のテクスチュアが変わってしまう”
“きかがくと、きかがくからの逸脱、原理と原理違反が同時に確立されている”
“AD MARGINEM/
鳥がいる かわいい鳥
植物 草花の数々
あかいまる
なによりも おおきく ひろく
広がる空間が美しい
自然のささやき、耳を澄ましてごらん
絵のなかにきく
絵のなかにみる
u ・V ・r ・u ・1 ・
線の織り成すリズム
動 き 蠢 き
繊細で情緒豊かな色調が生まれる
http://ci.nii.ac.jp/els/110004674937.pdf?id=ART0007402048&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1428384369&cp=“
ほとんど、Pierre Boulez『クレーの絵と音楽』(ポール・テヴナン編/笠羽映子訳/筑摩書房/1994年)から。
クレーさんの絵は、
ぱっとみて、その人それぞれの、視点でみることができ、かつ自分の意見はおしつけずにつらぬいていて。
やわらかく、考える、視る、聴く、余白のあるギフトをくれる絵だなあとあらためて、おもいました。
彼の授業で、だしている命題、もう少し読み進めてみようとおもいます。hehehe
ちょこちょこですが、読んだ本はこちら。
ご興味ありましたら、ぜひ。
フェリックス・クレー編、矢内原伊作、土肥美夫共訳『パウル・クレー 遺稿・未発表書簡・写真の資料による画家の生涯と作品』(みすず書房)
利光功訳『教育スケッチブック』〈バウハウス叢書2〉(中央公論美術出版)
西田秀穂、松崎俊之訳『パウル・クレー手稿 造形理論ノート』(美術公論社)
前田富士男、宮下誠、いしいしんじ『パウル・クレー 絵画のたくらみ』(新潮社 2007年)
宮下誠『パウル・クレーとシュルレアリスム』(水声社 2008年)
野田由美意『パウル・クレーの文字絵 アジア・オリエントと音楽へのまなざし』(アルテスパブリッシング 2009年)
Pierre Boulez『クレーの絵と音楽』(ポール・テヴナン編/笠羽映子訳/筑摩書房/1994年)
アンドリューケーガン『パウルクレー絵画と音楽』
インターネットは便利なので、いくつか論文もよませていただきました。
みんな、しっかり文章にできて尊敬です。
しらべると面白いもので、関連したことも数珠つなぎに興味がわいて、もう読みたい本だけでかなりの数になってきております
そんなことしてないで、やることやりなさい。
といわれそうですが、この勝手に調べ学習、次回は、コルビジェさんかな。
そのうち、専門の方に、インタビューしてみたいなー。
わっほいわっほい
そして!4/8に、参加させていただいているバンドKilling FloorさんのCDが発売されます。
タワーレコードなどでかえるのかな。
ぜひぜひ
みなさま、よい一日を!