http://ameblo.jp/3625192/
いつだったか、街ぜんたいが水につかっていて、(屋根だけ水からとびだしてる感じ)ボートが移動手段である夢をみました。
ヴェネチアとはまた違う意味で、水につかっているのだけど(たぶん淡水)、そのことにとくに違和感も感情ももってなく、ただつかっている、という状況。
風景はたぶん日本ではないのだけど、かといってどこの国というわけでもない感じで、友人らしき人と一緒にいたのだけど、みんな国籍が違うような、そうでもないような、むしろ国籍をこえたコミュニティーにいる感じ。
とくに何かをしていた夢ではないのだけど、印象があっておぼえてます。
風景が印象的、ということでいえば
けっこう険しい山をのぼっていて、途中にあったお店。
それが何のお店だったかは、わすれたけど、その風景が印象的でした。
かいてるうちに、山を歩く夢、時々みてるなあとおもいだしてきました。
山すきだな。川もすき。海はちょっとこわい。とおくから見ていたいですね。
話がはずれるけど、夢でよくみるやっかいなモチーフは
ガムと楽器です。
ガムはなぜかしらないけど、口いっぱいにつまってくるしいしきもちわるいからとりだそうとするもの。
楽器は、どこにおいたかわからなくなるか、盗まれるもの。
たぶん、そういう考え癖と、未解決なトピックが私にあるんですね。
においが印象的だったのは、
マドリッドで、プラド美術館のすこしおくにすすんだ特急電車がでる駅あたりまであるいた夢。
街のにおいが懐かしい感じがして、また、マドリードにたてていることがうれしかった。
現実でも夢でも、スペインにいけることはなんだかしずしずとうれしいことのようです。
匂いというと、
星の時計のリデル/内田善美 の金木犀の描写を想起します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E5%96%84%E7%BE%8E
そして芋づる式に、主人公のせりふ
「俺はね。何者でもない、そのことがけっこう気に入ってる。詩人でもない。画家でもない。音楽家でもない。たとえばさ、そういうことがけっこう気に入っている。画家だったら描かねばならない。詩人だったら言葉があふれてしまうだろう。音楽家は感情の一ひだも葉っぱの一枚さえも音に変えてしまうんだ。そういうミューズたちを必要としないってこと、俺は結構気に入っている。風は風のままに、季節(とき)は季節(とき)のままに。想いは想いのままに。何に変わる必要もない。何に語る必要もない」
を思い出すのは
このせりふを母が、気に入っているときいたことがきっかけだろうなあ。
いろんな人を尊敬しているけど、
ことばを大切にしているひとを尊敬しています。
なぜだか憧れがあります。
言葉のエネルギーをなんとなしに意識したのは
ゲド戦記 だったかもしれません。
太古からの まことのことばではなしかけると、種族を超え意識がつたわり
現実化する
ということが、本といえばファンタジーばかりよんでた時期に妙にしっくりきたのを覚えています。
うほほ
うおっほほ
みなさま、よい休日を!